“自分の私生活を、世界に暴露したい”——SNSの匂わせも暴露系YouTuberも、実は明治の「私小説」からの伝統だった。田山花袋『蒲団』が口火を切った、日本の“告白文化”をたどる一冊

「日本人は、なぜ自分の私生活を、あんなに大胆にさらけ出したがるのか?」——SNSの“匂わせ”投稿も、私生活をぜんぶ見せる暴露系YouTuberも、現代ならではの現象に見える。ところが「あれは明治時代から続く、日本の“お家芸”だ」と読み解く一冊が話題だ。木村洋(上智大学文学部教授)の『「蒲団」の時代:自然主義とは何だったのか』(新潮選書)。著者によれば、1906〜1910年の“自然主義”文学の全盛期、文学者たちが競うように、自分の私生活の——人には言いにくい、みっともない部分まで——赤裸々に小説へ書き始めた。その口火を切ったのが田山花袋『蒲団』(1907年)で、中年の作家が若い女弟子に抱いてしまった情けない執着を、作者自身がそのまま描いて大評判に。以後、森田草平『煤煙』(1909年)は心中未遂事件の内幕を、島崎藤村は身内とのこみ入った関係を題材にするなど、“実体験の暴露”を競い合った——これが日本独自の「私小説」だ。従来こうした文学は「西洋の小説に比べて社会を描かない、後ろ向きな文学」と貶められてきたが、著者はそこに異を唱える。当時、文学者が“偉人”として持ち上げられたことで、その私生活の告白までもが「古い道徳に体当たりする思想運動」としての公的な意味を帯びた、というのだ。つまり単なる暴露ではなく「こういう本音の自分も、堂々と生きていい」という時代への挑戦状でもあった、と。記事は、資産家の投資家・与沢翼がツイッターで私生活を惜しみなく晒す姿を、100年以上前の私小説と地続きの例として挙げ、告白文化をむしろ“日本の文化遺産”として読み直す視点を示す。ひかり・ことね・みずきの3人が掘る。

ことね:ねえ、ちょっと面白い問いを持ってきたの。「日本人は、なんで自分の私生活を、あんなに大胆に世間にさらけ出したがるのか」。SNSの“匂わせ”も、ぜんぶ見せる暴露系YouTuberも……あれって実は、明治時代から続く、日本の“お家芸”なんじゃないか、っていう一冊が話題なの。

ひかり:えっ、明治!? スマホもSNSも、なーんにも無い時代から!? でもさ、暴露するも何も、昔の人ってもっとお堅くて、私生活なんて隠すイメージじゃない?

ことね:それがね、逆だったの。木村洋さん——上智大の先生——の『「蒲団」の時代』っていう本で読み解かれてる話なんだけど。1906年から1910年ごろ、“自然主義”っていう文学が大流行してね。文学者たちが、競うように、自分の私生活の——人には言えない、みっともない部分まで——赤裸々に小説に書きはじめたの。その口火を切ったのが、田山花袋っていう作家の『蒲団』。1907年の作品ね。

ひかり:「蒲団」って……あの、夜に寝る、おふとんの蒲団!? おふとんで、いったい何を告白したの……?

ことね:かいつまんで言うとね。中年の作家が、若い女弟子に、淡いというか……ちょっとよこしまな執着を抱いてしまう。その情けない自分を、作者本人が、ほぼそのまま書いちゃったの。当時は「自分の恥を、ここまで正直に書くなんて!」って大評判。それから、森田草平は心中未遂事件の内幕を、島崎藤村は身内とのこみ入った関係を……みんなで“実体験の暴露”を競い合った。これが、日本ならではの「私小説」の始まりなの。

みずき:…つまり、100年前から、日本人は“自分の恥を切り売りして注目を集める”のが得意だった、と。…炎上系YouTuberの大先輩が、教科書に載ってる文豪だったわけだ。誰得かっていえば——本人だけ注目を浴びて、書かれた家族は、たまったもんじゃない。

ことね:そこなんだけど、著者の見方が面白いの。昔はこういう文学、「西洋の小説に比べて、社会を描かない、後ろ向きな文学だ」ってバカにされてきた。でも木村さんは異を唱えるのよ。当時、文学者が“偉い人”として持ち上げられたから、その私生活の告白までもが「古い道徳に体当たりする、ひとつの思想運動」として意味を持った、って。ただの暴露じゃなくて、「こういう本音の自分も、堂々と生きていいんだ」っていう、時代への挑戦状でもあった、と。だから著者は、告白文化を“日本の文化遺産”とまで言い直してるの。

みずき:…なるほどね。「みんなが隠してる本音を、わたしは正直に晒す」——その“正直さ”そのものが、武器になって、注目になる。…それ、構造はいまのSNSと、寸分たがわず同じだ。記事も、投資家の与沢翼さんがツイッターで何もかも晒すのを、100年前の文豪と地続きの例に挙げてる。…道具が、おふとんからスマホに変わっただけ。

ひかり:えーっ、じゃあわたしが今日のお昼に何食べたか実況してるのも、文学の伝統をちゃんと継いでるってこと!? ……なんか、ちょっと誇らしくなってきたっ!

みずき:…ひかりのお昼実況に、旧道徳への挑戦の魂は、たぶん一ミリも宿ってない。…でもまあ、“見て見て”の気持ちが百年前の文豪とおんなじ、ってのは、ちょっと面白いね。…ほどほどにしときな。

まとめ:木村洋(上智大教授)の『「蒲団」の時代:自然主義とは何だったのか』(新潮選書)の書評が話題。SNSの匂わせや暴露系YouTuberに見える“私生活をさらけ出す告白文化”は、実は明治の私小説からの伝統だ、という読み解き。1906〜1910年の自然主義全盛期、文学者たちが私生活の恥ずかしい部分まで赤裸々に書くのを競い、田山花袋『蒲団』(1907年)がその口火を切った。著者は、こうした文学を「社会を描かない後ろ向きな文学」と貶める従来の見方に異を唱え、文学者が偉人視されたことで告白が「旧道徳に挑む思想運動」の意味を帯びた、と再評価する。記事は投資家・与沢翼のツイッター告白を100年前の文豪と地続きの例に挙げる。みずき曰く——“正直に晒す”その正直さ自体が武器になり注目になる構造は、おふとんがスマホに変わっただけで今のSNSと寸分たがわず同じ。ひかりのお昼実況に旧道徳への挑戦の魂はたぶん宿ってないが、“見て見て”の気持ちが百年前の文豪と同じ、というのは、ちょっと面白い。

元記事を読むホームへ