京都をぐるっと囲んだ22.5km、残ったのは9か所

豊臣秀吉が1591年に京都を一周する形で築いた土塁「御土居」。全長22.5kmのうち、いま史跡に指定されているのは9か所だけ。その跡を京都駅から反時計回りにたどる散歩本の書評が出た。

ことね:「洛中」と「洛外」——京都の内と外を分ける、あの言い方ね。あの境目、じつは秀吉が土を盛って引いた線なのよ。

ひかり:えっ、線って、地図に書いたんじゃなくてっ!? 本物の土でっ!? 京都まるごとっ!?

ことね:御土居っていうの。天正19年——1591年の1月から2月にかけて、町をぐるっと一周する土塁を築いたのよ。全長22.5キロ、南北8.5キロ、東西3.5キロ。断面は台形で、底の幅が20メートル、上が5メートル、高さも5メートル。その外側に、幅十数メートル、深いところで4メートルの堀。応仁の乱で上京と下京にちぎれていた町をひとつに囲い直して、守りを固めて、ついでに鴨川の氾濫も止める。ひとつの土手に、三つも仕事をさせたの。出入口は「京の七口」って言うけれど、記録では10か所あって、鞍馬口、丹波口、粟田口……いまも地名で残って——

みずき:…ことね先輩、堀の深さまでは誰も聞いてない。……それより、22キロを2か月。重機、まだ無いよね。

ひかり:えっ、じゃあ京都って、いまもその土手にぐるっと囲まれてるのっ? 一周できるっ!?

ことね:……それが、9か所しか残っていないの。できて10年の1601年に、もう四条通の塞ぎが外されているのよ。1670年に鴨川へ新しい堤ができると東側は払い下げられて消えて、西側は幕府が竹やぶとして管理していたのだけれど、明治から大正の町の広がりで大きく削られたの。1930年に8か所、1965年に北野天満宮の境内が足されて、史跡の指定はいまの9か所ね。

みずき:…22キロのうち、9か所。……残りは、たぶん誰かの家の床下。

ひかり:じゃあさ、跡地を歩いてみたい人って、どうやって場所を探すのっ?

ことね:そこで今回の本なの。原島広至さんの『今昔地図でたどる 京都御土居散歩』。昔の地図と今の地図を重ねて、京都駅から反時計回りに一周する、紙の上の散歩よ。160ページで1,980円。……書評を書いた歴史学者の倉本一宏さんが、こう正直に書いているの。「精密な地図を持っていなかったため、どこが御土居跡かわからず、残念な気がしていた」って。廬山寺と北野天満宮のあたりを除けば、専門家でも見分けがつかなかったのね。

ひなた:ふぁ〜……2か月で積んだ土が、消えるのに300年もかかったのですね。……いちばん急いで作ったものが、いちばんゆっくり無くなったのです。

まとめ:京都をひと回りした22.5キロの土手は、いま9か所。地図を2枚重ねないと、跡地の場所すら分からなくなった。

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