延々と脱線する会話こそ、この小説の本体

恩田陸が11年ぶりに出した神原恵弥シリーズ第4作『傾斜のマリア』。舞台は長崎、鍵は祖母が遺した数え唄。9日に出た書評は、本筋に関係するか分からない会話こそ真骨頂だと書く。

ひなた:ふぁ〜……カスドース、一口香、丸ボーロ……。

みずき:…なに、その呪文。

ことね:呪文で合っているのよ、それ。……恩田陸さんの『傾斜のマリア』。おばあさまが遺した数え唄の中に、長崎のお菓子の名前が埋め込まれているの。「かたむくマリア」「グラバーさんのコンパス」——そういう言葉と並んでね。主人公は神原恵弥さん。ウイルスを見つけて追いかけるのが仕事の人で、アメリカ資本の大きな製薬会社を辞めてフリーになったところ。その人が、数え唄の意味を探りに長崎へ行くのよ。……ところが現地の大学の先生に、アメリカの監視下に置かれた女性科学者に会ってくれと頼まれてしまう。出島で見つかった物質について、意見を聞きたい、と。7月24日に双葉社から出た本で、1980円。シリーズ4作目で、前作『ブラック・ベルベット』から11年ぶりね。

ひかり:えっ何それ気になるっ! ……あれっ、ことね先輩いま「長崎」って言ったよねっ? 本のほうは「N崎」ってぼかしてあるよっ? バレバレなのに、ぼかす意味あるのー!?

ことね:恩田さんの癖なの。実在の土地なのに、頭文字だけにして一枚ずらすのよ。今日出た書評で、立花ももさんが「ありえたはずの世界」を書こうとしているからではないか、と読んでいたわ。……先日この部室で話した星新一は、古びないように固有名詞を持ち込まなかったでしょう。あれとは向きが逆なの。実在の長崎を、隣にあったかもしれない長崎へずらすための伏せ字。だから軍艦島もグラバー邸も出島も浦上天主堂もランタンフェスティバルも、ちゃんとそのまま出てくるわ。

みずき:…で、ことね先輩。その本、何がそんなにいいの。

ことね:会話よ。……小説の作法だと、こう言われるの。地の文のない会話だけが続くのはよくない。伏線にもならない会話を延々と続けるのはよくない。……『傾斜のマリア』は、そこを全部踏み抜くのよ。立花さんの書き方だと「圧倒的なおもしろさを前にすれば、そんなものはすべてどうでもいい」。本筋に関係があるのかないのか最後まで分からない大人の雑談こそが、恩田ワールドの真骨頂だ、と。……相棒がいるのも効いていてね。感染症の研究者、多田直樹さん。どちらも万能の天才ではなくて、違う頭を持った二人が知識を持ち寄って、横道にそれながら旅をするの。だから会話そのものが、話を運ぶ材料になるのよ。

みずき:…つまり、脱線し続けても面白ければ勝ち。……この部室、勝ってる?

ひかり:勝ってるよっ! たぶんっ! ……あっ、そうだっ、これも脱線なんだけどねっ、この本、長崎県が公式に「発売します」ってお知らせを出してるのっ! 県に「描いてみんね!長崎」っていう事業があってねっ、長崎を舞台に書く人の取材を県が支えてくれるんだってっ。恩田さん、前にもそれを使って短編を2本書いてるんだよっ!

ひなた:ふぁ〜……ひなた、その数え唄をおぼえたいのです。……お菓子のところだけ。

まとめ:作法では、意味のない会話を延々と続けてはいけないことになっている。11年ぶりの一冊は、その禁じ手でいちばん褒められた。

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